2025-02-23

病牀雑記(10)

 感覚的には小康状態が続いているのだが、ここ最近は痛みを感じるようになってきた。いよいよアレが近付いてきているのか。一応それなりの覚悟は常に持っているつもりだが、その覚悟も現実味をより一層帯び始めてきたと言うことか。

このblogにて入院前からの病状や治療中のことを書き連ねていこうかと思っていたが、それも過去のことだし、そんなことも言っていられなくなってきたのかもしれない。

痛みというものは、恐ろしく人を消耗させる。肉体的にも精神的にもゴリゴリ削られて行く感覚。当初はアセトアミノフェンで抑えられていたものが、薬効の切れ目が近付くと痛みを感じるようになる。特に夕食後から翌朝にかけてが時間が空くために、深夜〜明け方にかけて痛みで目が醒めるということが続いた。そこで夕食後、就寝前に投与してもらうようにしたが、それでも明け方の時間帯がどうも具合が良くない。また昼間の時間でも6時間は持たない感じがしてきた。

そこで愈々、オピオイドが処方されるようになる。あまり日を待たずに量が少し増えたところはあるけど、効果は上々だ。ほぼ一日効果が持続するから、途中で目覚めるなどということはほぼ無くなった。だが温度や血流の変化など、刺激がきっかけで一時的に痛みが来ることもあり、その時は何も手に着かない状態に陥り、消耗する。

また痛み止め薬無しには普通に生活を送ることが難しいので、状況は良くない方向に一歩近付いたということだろう。また痛みがくるのを避けるために、普段の活動量・運動量も減少したように思う。

人はこうして消耗していくのか。

2025-02-09

病牀雑記(9)

こう言った日記は間を空けると、筆者の身に何かあったか? と思われてしまう可能性があるので、間を空けるのは良くないな。しかし書くこと自体を忘れがちな上、書く内容もあまり思いつかなかったことから更新が止まっていたのであって、更新できない程容態が悪化したわけではないことを始めにお断りしておく。

抗がん剤治療・気道切開

1クール目の抗がん剤治療が始まった。…のだが、これを書いている今よりも半年近く前のことになる。流石に詳細はあまり覚えていない。確か3種類の抗がん剤を投与していたと思う。これを週一で4週(回)繰り返す。この時は副作用が目立ち、皮膚と頭髪へのダメージが大きかったし、見た目的にも目立っていた。あと今にして思えば、下痢気味だったのも薬の副作用だった気がする。下痢以外の、皮膚や頭髪への副作用については、痛みや苦しみは特になかったので、何となく普通に過ごせていたと思う。

覚悟はしていたけど、シャワーを浴びて頭をタオルで拭いたり、手櫛で髪の毛を梳かしたりする度に結構な量の毛髪が抜けるのには閉口した。換毛期の動物かという勢いで髪の毛が抜けていったのにはショックでした。

抗がん剤とは別に、腫瘍への治療と言うよりかは、腫瘍が気管の入口のところを圧迫している関係で呼吸を邪魔している状態だったので、人工気道(カニュレ)を入れる手術を行った。声帯よりも下の部分で空気が出入りするため、声が出せなくなった。元々、口内にできた腫瘍のせいで舌が回りにくい状態ではあったが、物理的に発声をできなくなった。
入れているカニュレの種類で声を出せるタイプ(呼気は声帯を通じて口へ、吸気は喉の開口部から)もあり、手術後一週間半程してからは声を出せるタイプになったが、しばらくしてからまた声が出せないタイプに戻ってしまった。声が出せないのは本当に不便で、先ず電話ができない。何かの時には電話で対応しなければならないことがある(例えばクレジットカードが不正利用された場合にカード会社から確認の電話がかかってくるとか)が、それに対応出来ないのには焦りを覚えた。たまたまそうした機会はなかったが、対面であれば筆談で意思疎通をすることができるが、電話ではそうもいかない。喋れないことを伝えることすらできないのだ。とりあえずの対策として、スマートフォンの文字読み上げ機能を準備しておくことにした。「私はしゃべることができません」のような文章を用意しておいて、いざという時はそれをスマートフォンに読み上げてもらおうという寸法だ。

いずれにしても、腫瘍が口内の食道と気道の入口を圧迫している関係でカニュレを入れていることと、飲食物を口からのみ込めないため栄養物は鼻から食道へ挿入されたチューブで流し込むこととなり、それは今でも続いている。そしてそれ故、退院して自宅で療養することができないでいる。呼吸と飲食という生命維持に必要なことが、医療機関の手助けが必須であるということはどうしても不便に感じてしまう。

それはさておき、抗がん剤の2クール目はシスプラチンの投与となった。シスプラチンの方が抜け毛など目立った副作用はなかったのだが、薬成分を腎臓内に溜めることなく体外に排出するために、生理食塩水と利尿剤を大量に点滴で静注されることになる。当然尿も多く出るものの、静脈内に生食を入れるものだから、身体の浮腫みが酷い。体重も増えるし、自分でも身体が鈍重になっているのを感じる。要はダルい。数日で水分は抜ける感じだが、抜けたと思うと次のサイクルが始まってその繰り返し。今思えばそこそこ身体に負担がかかっていたと思う。血液検査の結果も芳しくなく、一時期は輸血を行ったりもしたし。

入院後から続く点滴のお陰で、秋以降は点滴の針を設置する箇所を探すのに難儀したのもある。点滴の他にも週に2回の血液検査の採血、その度に看護師では採血できずに医師の手を借りなければならなかったりと、そう言った苦労もありました。点滴も気圧の差だけでは血管内に液が入っていきにくかったりとか。

抗がん剤の2クール目に平行して行われたのが放射線治療でした。放射線治療についても書くネタがそんなにあるわけではないけど、また改めて。