2025-01-26

病牀雑記(8)

 入院まで

中咽頭ガンと診断されて、以後の予定としては、7月末に入院して外科手術、その後は抗がん剤による治療と聞いていた。7月の間はまだいろいろできるかなと思っていたが、自分でも想像以上に口内の腫瘍が肥大化していった。痛み止めの錠剤が処方されたのだが、そもそも錠剤をそのまま嚥下することすら難しくなってきた。最初のうちは錠剤を二つに割ったり、口の中で噛み砕いて小さくして飲み込むようにしていた。また食事も少量を口に入れて良く噛んでさらに少しずつ飲み込まなければならなくなった。必然、食べる量自体が減る。ゼリー飲料や栄養ドリンクなどが増えていくが、体力が落ちていくのを実感する。
その後も様々な検査があって通院していたが、血液検査の結果免疫力が極端に低下しており、食事量が少ないこともあって、このままでは到底手術に耐えられないと判断され、急遽予定を早めて翌日から入院することになる。とりあえずは点滴や栄養の経管摂取により体力の回復を目指す。

小学生の時に一週間程入院したことはあるが、この年になって実質的には初めての入院生活である。とりあえず2ヶ月間くらいの入院を想定した準備をして、翌日病院へ向かった。

初めての入院生活

スマートフォンにiPad、仕事用のPC、Wi-Fiカード。とりあえずは何とかなりそうだ。日常品はその都度売店で調達すれば良いだろう。院内にはチェーン店のコンビニエンスストアが入っているし、福祉・医療用品を売る店もある。
前日に入院が決まったため、準備も何もなかったが、今改めて振り返っても不足したものは殆どなかったと思う。そして入院して最初の数日間はコロナ等感染症に罹っていないか、確認の隔離のため(差額ベッド料がクソ高い)個室へ半強制的に入れられたのだが、それはそれで良かったと思う。病院での生活ペースに慣れるためにも、最初は個室でのんびりできたことは良かった。そして数日後、四人部屋へと移動した。

四人部屋といっても、基本は病人同士の集まりなので、秩序を乱すような非常識な同室者はいなかったし、カーテン一枚で区切られているので発生する「音」が気になるかと思ったが、おそらくは各々の病気に由来すると思われる音が稀にあるくらいで、特に気にならなかったのは幸いであった。

21時消灯、翌朝6時に点灯、起床。普段は0時過ぎに寝る生活をしていたので、21時消灯はきつかった。ベッドの中でスマホをいじったりして21時に寝ることはなかったのだが、薄暗い中ではどうしてもウトウトしがちである。そして普段よりも早い就寝は変な時間に目を覚ます。今思えば、だが、やはり気管が圧迫されて息苦しかったり唾液が溢れたりでなかなか寝付くことができなかった。浅い、眠りと呼ぶには浅すぎる眠りの中で、夢とも幻覚ともつかない何かを見聞きすることもあった。入院したての頃は、先ずは体力と免疫力の確保が先決だったので、腫瘍に対して積極的な治療を行っていたわけではない。病変はそのままで、痛みや苦しみと言った自覚症状はなかったものの、生活の質は大分低かったように感じる。

あまり明確には覚えていないのだが、この頃には外科手術よりも前に抗がん剤での治療を先行して様子を見るようになっていたと思う。その後に外科手術を行い、放射線治療と抗がん剤を続けることになるようだ。またその時点で8月の退院は無いな、と思った。早くても9月末か。

SNSでは知人たちが外界の夏の暑さを嘆いていたが、私は暑苦しさを知らぬまま8月を迎えようとしていた。

2025-01-19

病牀雑記(7)

 ここからは病気のことを書いていこうと思う。

端緒

今思えば、になるが、自覚症状を感じ始めたのは2024年のゴールデンウィーク明けくらいからだったと思う。GWの前半は発熱で寝こんでおり、特に医者には行かなかったが、発熱と喉の痛みから何らかの感染症だったんだと思う。GWに入る前に某地下アイドルのライブに行き、病み上がり(注:所謂病んでいる方の病み上がりではなく、身体の病気における病み上がりです。)のオタクとMIXを打っていて、ちょっとヤバいかも…とは感じていた。多分だけどその時に感染した気がする。
それでもその時は、一推しである小野田あやささんがMerci Merciを卒業したばかりで、やり切った感とか燃え尽きた感があったのであまり気にしていなかった。で、数日おいて連休に入ると見事に発熱して家で寝こんでいた。連休の中日には出勤できるくらいには回復していたのでその時はあまり気にしてはいなかったのだが、喉に違和感、そしてリンパ節が少し腫れている感じもあったことは覚えている。そして喉の違和感は口内の違和感へ変わっていく。舌の付け根に違和感というか異物感を感じるようになっていく。それを意識するようになったのが5月の半ば過ぎから後半だっただろうか。

舌根におできのようなものができていて、最初のうちは異物感だけで済んでいたのが、日が経つにつれてそのおできは大きくなり日常生活にも影響し始めた。最初は舌がもつれるような感じで、言葉を発音するのに支障が出始める。呂律が回りにくい状態か。そしてそれが徐々に悪化している自覚もあった。しかしJuice=Juiceの植村あかりさんの卒業コンサートはどうしても外せなかったので、6月の半ばまではそのまま何とかやり過ごしていた。やがて、呂律が回らない状態に加えて、唾液が溢れやすくなってきた。特に寝ている間に唾液というかよだれが溢れていることが増えたし、その不快感のせいで夜も途中で目が醒めたりして睡眠不足気味にもなっていた。
そして何よりも不具合を感じるようになったことは、口の中のおできが大きくなってきていて、物を食べる時に以前と同じ量を口に入れることができなくなり、食べる速度が遅くなってきたこと、またそれ故に食べている途中で食欲がなくなってしまい、食事を残すようになってきたことである。発話と食事の不具合が進行してきて、愈々日常生活に支障をきたし始める。

うえむー(植村あかり)の卒コンを終え、仕事の方も何とか一段落付けた6月の末、ついに職場近くのクリニックを訪れた。ここまで来るともう、通院しながらの治療で済むとは考えられなかったので、入院を覚悟してのことだった。(そのためもし入院することがあっても問題が最小限で済むこのタイミングを待った。)

初診

その日は出社して1時間程度で残務を終わらせて、職場近くのクリニックへ行き診察を受けた。するとドクターから、「紹介状を書くから、今からこの足で紹介先の病院へ行き、検査してもらうように。仕事は、今日はもう休みなさい」と、TVドラマで見たことがあるようなことを言われた。この足でこのまま向かえと言われたものの、一度職場に寄って簡単に事情を説明してから紹介先の病院へと向かった。この日は梅雨時で雨が降っていて、雨の中幾分興奮気味に歩いて行ったのを覚えている。

紹介された病院に着き、紹介状を添付して受付を済ませたが、午前中の診察は終わっていたので、午後からの診察を待つことになった。やはり気分は高揚していたので、昼食も摂らずに(この頃はすっかり食べる量も減っていたが)辺りで時間を潰して、指定された時間に病院へ戻ってきた。

先ずは診察、そして検査、検査。この日だけでは検査が間に合わず、後日CTやらMRIやらをいろいろ受ける羽目になり、診断結果は一週間後ということになった。この時点でのドクターの所見は、中咽頭ガンの疑いとのことであった。

自分で勝手に舌ガンかもなあ、等と思っていたが、舌根部以外にもリンパ節も腫れていて、舌の部分以外にリンパ節も生検検査をされたので、そういうことなんだろうと思った。そして現時点では、「ガンの疑い」とのことだが、おそらくは、多分、自分はガンなんだろうな、と確信していた。
くよくよしていても仕方がない。ともかく検査を複数受けなければいけないし、いよいよ仕事したりアイドル現場に遊びに行ったりしてる場合じゃなくなるな、などと覚悟をしたりもした。

匂わせ

診断結果が分かる前にライブ現場が入っていて、そこで自分の推したちに病気のことを明かすべきかどうか非常に悩んだ。

元来、いや今でもだが、ライブやイベント、ステージでの活動を生業としているアーティストに対して、その現場に行けないことを言い訳することは禁じ手である、と言うのが私のポリシーである。行けないことは黙っていれば良い。行けないことの言い訳を聞かされるアーティストはどんな気持ちか。行けない言い訳など、醜い自己弁護に過ぎないではないか。

この時のように、どうしようもない事情で現場に行けなくなるのならば、いっそそのまま相手のアーティストの記憶から忘れ去られた方が幸せではないか。下手に同情されるよりも、スッといなくなる方が気が楽だ。

しかし、Merci Merciと、一推しの小野田あやささんについては、現場の特典会でそれとなく事情を明かすことにした。特にあやさんの舞台については既にチケットも取ってあり、そのことをあやさん本人も知っていたし、今まであやさんを一推しとして推してきた実績が自分のポリシーを曲げた。

この頃は明瞭に発話することが難しかったので、スマートフォンに予め言いたかったことを打っておき、その画面を見せながらのお話し会となった。たださすがに病名(疑い)までは明かさずに、喉の方に不調があって言葉が喋れないこと、手術や入院しての治療が必要になりそうなこと、もしかしたらちょっと時間がかかるかもしれないこと、などを伝えた。

自己弁護、言い訳に過ぎないことは分かっていたが、いきなり現場からいなくなることによって与える心配の方をなくしておきたかったのだ。

診断結果

初診から一週間後、親族である兄と一緒に診断結果を聞きに行った。

やはり、中咽頭ガンであった。ステージ4。

生検検査でも悪性の腫瘍がみられた。但し不幸中の幸いか、食道や肺など他の部位への転移はなかった。

2025-01-15

病牀雑記(6)

 経緯

いきなり(6)からかよ!と言う話ですが、実は前からnoteの方で書き綴っていてたところ、色々心境の変化がありbloggerも復活させようかな、と。そしてタイトルにもある通り「病牀雑記」である。確か芥川龍之介のエッセーにそんなタイトルがあって、まさに自分の入院中に電子書籍で芥川のエッセーを読み、何となく同タイトルでnoteの方にポツポツと記事を書いておりました。そこではタイトルこそ病牀雑記を銘打っていたものの、病気とはあまり関係のない、通信環境などの話題が主でしたが。

私が入院したのは昨年(2024年)の七月。その後転院を経たものの、年が明けた今も入院中である。入院した当初は秋口には退院できているつもりだったが、思っていたよりも治療の効果が認められず、今に至る次第である。半年近くにも及ぶ入院生活、そしてすぐに退院できるとは言えない状況で、病気のことや自分の生に与えている影響、あるいは生への向き合い方と言った事柄についても何か書き記したいとの思いが強くなった。そこで改めて、自分にとってBlogの原点でもあるbloggerで書いていこうと思い立った。

思えばこのbloggerを始めたのは2006年で今から二十年近く前のことだ。(最初のエントリー:夏焼トンネル)ここ最近と言うか、この十年くらいは殆どblogを書いておらず密度で言ったら二十年分の半分以下の薄さだと思うが、ともかく二十年前というのは自分でも驚きだ。それこそHello! Projectのオタクになりたての頃だし、そもそもがハロヲタ話を書きたくて始めたbloggerであった。それが今や、ハロプロのファンクラブ(ハロプロ及びM-Line)には辛うじて入っているものの、一推しはハロプロはおろかUp-front所属ですらない小野田あやさである。細かいことを言うと、彼女はスペースクラフトに所属する前は演劇女子部の演劇に出演しており、『恋するハローキティ』(Juice=Juice版)で見かけたのが最初のきっかけだったので、Up-frontと全くの無関係とは言い難いところはありますが。ともかく、ハロヲタ話を書きたくて始めたこのbloggerだが、アイドルとは関係のない内容の記事も色々と書いており、純粋にハロヲタブログであるとは言い難いだろう。要は、私の個人的な日記だった言うことなんだと思う。そして原点でもある。

2010年代になって記事を書かなくなったのはやはりTwitterが原因だろう。ここに限らずmixiの日記なども殆ど書かなくなった。百数十文字という制限はあるが、リアルタイムに心の中を吐き出していると大方表現欲は満たされるものだ。その表現内容の良し悪しは置いておいて。

そして去年の7月、いよいよ入院となりました。と言っても院内で日常生活を送る分には支障は無く、時間を持て余すことになる。スマートフォン、iPad、ノートPC(仕事用)等々、電子デバイスは持ち込んでいたので、持て余す時間の過ごし方は最初のうちはコンテンツの消費に走る。動画もよく見たけど、相部屋なのでイヤホン必須だし目も疲れるしなので、電子書籍で文字コンテンツをよく読んだりもしました。インプットばかりの毎日が続くと自然にアウトプット欲も湧いてくるものだが…病気のことを具体的に書くのも気が引けていたと言うか、そこまでの覚悟は持てていなくて、何となく当たり障りのない、ガジェットや通信環境の話などをnoteに書き連ねておりました。

だが入院生活も半年を越えて、退院の目処も立たない今、やはり病気にまつわる事柄について語らないわけにもいくまいと感じるようになった。かな苫庵と言う原点に回帰して、アウトプットして行こう。

病気を公言することについて

家族親族、親しい友人、職場の人たちに対しては当然今罹っている病気のことを明かしているが、その中でも友人たちについては明かした人と明かしていない人との基準は曖昧と言うか、気分次第なところが大きい。入院した当初はこんなにも長引くとは思っていなかったし、3ヶ月程度で社会復帰できると踏んでいたから尚更だ。

また、所謂地下アイドルと呼ばれる人たちの中でも私を私として認識されているアイドルの子たちに対して、敢えて明かしてはいない。一推しの子には、しばらく入院しなければいけないことなどを明かしたが、それも彼女だけだ。ライブパフォーマンスを生業とする演者に対して、現場に行けない言い訳をするのは自分の主義に反するからだが、一推しの彼女にだけは伝えておきたかったのだ。それはもしかしたらもう二度と会うことができなくなる可能性もあったからだ。他のアイドルであれば、現場に会いに行けない私のことなど忘れてもらった方が気が楽だし、次来れるかな? 等と期待を持たせるのも心の負担になるだけだ。

結局、Xでも(身バレしていない他のSNSでも)罹っている病気について公言はしていない。入院していることは匂わせたり、サラッと書いたりしていたが、具体的な病名などについては触れていない。カミングアウトすることが怖いと言えば怖い気もするし、単に同情を買いたくないだけのような気もする。そしてこのタイミングで、今ココで明かすことに躊躇いが無いわけではない。躊躇いだらけである。

気持ちを整理するために、ここで一旦区切ろうか。(笑)