病牀雑記(7)
ここからは病気のことを書いていこうと思う。
端緒
今思えば、になるが、自覚症状を感じ始めたのは2024年のゴールデンウィーク明けくらいからだったと思う。GWの前半は発熱で寝こんでおり、特に医者には行かなかったが、発熱と喉の痛みから何らかの感染症だったんだと思う。GWに入る前に某地下アイドルのライブに行き、病み上がり(注:所謂病んでいる方の病み上がりではなく、身体の病気における病み上がりです。)のオタクとMIXを打っていて、ちょっとヤバいかも…とは感じていた。多分だけどその時に感染した気がする。
それでもその時は、一推しである小野田あやささんがMerci Merciを卒業したばかりで、やり切った感とか燃え尽きた感があったのであまり気にしていなかった。で、数日おいて連休に入ると見事に発熱して家で寝こんでいた。連休の中日には出勤できるくらいには回復していたのでその時はあまり気にしてはいなかったのだが、喉に違和感、そしてリンパ節が少し腫れている感じもあったことは覚えている。そして喉の違和感は口内の違和感へ変わっていく。舌の付け根に違和感というか異物感を感じるようになっていく。それを意識するようになったのが5月の半ば過ぎから後半だっただろうか。
舌根におできのようなものができていて、最初のうちは異物感だけで済んでいたのが、日が経つにつれてそのおできは大きくなり日常生活にも影響し始めた。最初は舌がもつれるような感じで、言葉を発音するのに支障が出始める。呂律が回りにくい状態か。そしてそれが徐々に悪化している自覚もあった。しかしJuice=Juiceの植村あかりさんの卒業コンサートはどうしても外せなかったので、6月の半ばまではそのまま何とかやり過ごしていた。やがて、呂律が回らない状態に加えて、唾液が溢れやすくなってきた。特に寝ている間に唾液というかよだれが溢れていることが増えたし、その不快感のせいで夜も途中で目が醒めたりして睡眠不足気味にもなっていた。
そして何よりも不具合を感じるようになったことは、口の中のおできが大きくなってきていて、物を食べる時に以前と同じ量を口に入れることができなくなり、食べる速度が遅くなってきたこと、またそれ故に食べている途中で食欲がなくなってしまい、食事を残すようになってきたことである。発話と食事の不具合が進行してきて、愈々日常生活に支障をきたし始める。
うえむー(植村あかり)の卒コンを終え、仕事の方も何とか一段落付けた6月の末、ついに職場近くのクリニックを訪れた。ここまで来るともう、通院しながらの治療で済むとは考えられなかったので、入院を覚悟してのことだった。(そのためもし入院することがあっても問題が最小限で済むこのタイミングを待った。)
初診
その日は出社して1時間程度で残務を終わらせて、職場近くのクリニックへ行き診察を受けた。するとドクターから、「紹介状を書くから、今からこの足で紹介先の病院へ行き、検査してもらうように。仕事は、今日はもう休みなさい」と、TVドラマで見たことがあるようなことを言われた。この足でこのまま向かえと言われたものの、一度職場に寄って簡単に事情を説明してから紹介先の病院へと向かった。この日は梅雨時で雨が降っていて、雨の中幾分興奮気味に歩いて行ったのを覚えている。
紹介された病院に着き、紹介状を添付して受付を済ませたが、午前中の診察は終わっていたので、午後からの診察を待つことになった。やはり気分は高揚していたので、昼食も摂らずに(この頃はすっかり食べる量も減っていたが)辺りで時間を潰して、指定された時間に病院へ戻ってきた。
先ずは診察、そして検査、検査。この日だけでは検査が間に合わず、後日CTやらMRIやらをいろいろ受ける羽目になり、診断結果は一週間後ということになった。この時点でのドクターの所見は、中咽頭ガンの疑いとのことであった。
自分で勝手に舌ガンかもなあ、等と思っていたが、舌根部以外にもリンパ節も腫れていて、舌の部分以外にリンパ節も生検検査をされたので、そういうことなんだろうと思った。そして現時点では、「ガンの疑い」とのことだが、おそらくは、多分、自分はガンなんだろうな、と確信していた。
くよくよしていても仕方がない。ともかく検査を複数受けなければいけないし、いよいよ仕事したりアイドル現場に遊びに行ったりしてる場合じゃなくなるな、などと覚悟をしたりもした。
匂わせ
診断結果が分かる前にライブ現場が入っていて、そこで自分の推したちに病気のことを明かすべきかどうか非常に悩んだ。
元来、いや今でもだが、ライブやイベント、ステージでの活動を生業としているアーティストに対して、その現場に行けないことを言い訳することは禁じ手である、と言うのが私のポリシーである。行けないことは黙っていれば良い。行けないことの言い訳を聞かされるアーティストはどんな気持ちか。行けない言い訳など、醜い自己弁護に過ぎないではないか。
この時のように、どうしようもない事情で現場に行けなくなるのならば、いっそそのまま相手のアーティストの記憶から忘れ去られた方が幸せではないか。下手に同情されるよりも、スッといなくなる方が気が楽だ。
しかし、Merci Merciと、一推しの小野田あやささんについては、現場の特典会でそれとなく事情を明かすことにした。特にあやさんの舞台については既にチケットも取ってあり、そのことをあやさん本人も知っていたし、今まであやさんを一推しとして推してきた実績が自分のポリシーを曲げた。
この頃は明瞭に発話することが難しかったので、スマートフォンに予め言いたかったことを打っておき、その画面を見せながらのお話し会となった。たださすがに病名(疑い)までは明かさずに、喉の方に不調があって言葉が喋れないこと、手術や入院しての治療が必要になりそうなこと、もしかしたらちょっと時間がかかるかもしれないこと、などを伝えた。
自己弁護、言い訳に過ぎないことは分かっていたが、いきなり現場からいなくなることによって与える心配の方をなくしておきたかったのだ。
診断結果
初診から一週間後、親族である兄と一緒に診断結果を聞きに行った。
やはり、中咽頭ガンであった。ステージ4。
生検検査でも悪性の腫瘍がみられた。但し不幸中の幸いか、食道や肺など他の部位への転移はなかった。
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