病牀雑記(8)
入院まで
中咽頭ガンと診断されて、以後の予定としては、7月末に入院して外科手術、その後は抗がん剤による治療と聞いていた。7月の間はまだいろいろできるかなと思っていたが、自分でも想像以上に口内の腫瘍が肥大化していった。痛み止めの錠剤が処方されたのだが、そもそも錠剤をそのまま嚥下することすら難しくなってきた。最初のうちは錠剤を二つに割ったり、口の中で噛み砕いて小さくして飲み込むようにしていた。また食事も少量を口に入れて良く噛んでさらに少しずつ飲み込まなければならなくなった。必然、食べる量自体が減る。ゼリー飲料や栄養ドリンクなどが増えていくが、体力が落ちていくのを実感する。
その後も様々な検査があって通院していたが、血液検査の結果免疫力が極端に低下しており、食事量が少ないこともあって、このままでは到底手術に耐えられないと判断され、急遽予定を早めて翌日から入院することになる。とりあえずは点滴や栄養の経管摂取により体力の回復を目指す。
小学生の時に一週間程入院したことはあるが、この年になって実質的には初めての入院生活である。とりあえず2ヶ月間くらいの入院を想定した準備をして、翌日病院へ向かった。
初めての入院生活
スマートフォンにiPad、仕事用のPC、Wi-Fiカード。とりあえずは何とかなりそうだ。日常品はその都度売店で調達すれば良いだろう。院内にはチェーン店のコンビニエンスストアが入っているし、福祉・医療用品を売る店もある。
前日に入院が決まったため、準備も何もなかったが、今改めて振り返っても不足したものは殆どなかったと思う。そして入院して最初の数日間はコロナ等感染症に罹っていないか、確認の隔離のため(差額ベッド料がクソ高い)個室へ半強制的に入れられたのだが、それはそれで良かったと思う。病院での生活ペースに慣れるためにも、最初は個室でのんびりできたことは良かった。そして数日後、四人部屋へと移動した。
四人部屋といっても、基本は病人同士の集まりなので、秩序を乱すような非常識な同室者はいなかったし、カーテン一枚で区切られているので発生する「音」が気になるかと思ったが、おそらくは各々の病気に由来すると思われる音が稀にあるくらいで、特に気にならなかったのは幸いであった。
21時消灯、翌朝6時に点灯、起床。普段は0時過ぎに寝る生活をしていたので、21時消灯はきつかった。ベッドの中でスマホをいじったりして21時に寝ることはなかったのだが、薄暗い中ではどうしてもウトウトしがちである。そして普段よりも早い就寝は変な時間に目を覚ます。今思えば、だが、やはり気管が圧迫されて息苦しかったり唾液が溢れたりでなかなか寝付くことができなかった。浅い、眠りと呼ぶには浅すぎる眠りの中で、夢とも幻覚ともつかない何かを見聞きすることもあった。入院したての頃は、先ずは体力と免疫力の確保が先決だったので、腫瘍に対して積極的な治療を行っていたわけではない。病変はそのままで、痛みや苦しみと言った自覚症状はなかったものの、生活の質は大分低かったように感じる。
あまり明確には覚えていないのだが、この頃には外科手術よりも前に抗がん剤での治療を先行して様子を見るようになっていたと思う。その後に外科手術を行い、放射線治療と抗がん剤を続けることになるようだ。またその時点で8月の退院は無いな、と思った。早くても9月末か。
SNSでは知人たちが外界の夏の暑さを嘆いていたが、私は暑苦しさを知らぬまま8月を迎えようとしていた。
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