2025-01-26

病牀雑記(8)

 入院まで

中咽頭ガンと診断されて、以後の予定としては、7月末に入院して外科手術、その後は抗がん剤による治療と聞いていた。7月の間はまだいろいろできるかなと思っていたが、自分でも想像以上に口内の腫瘍が肥大化していった。痛み止めの錠剤が処方されたのだが、そもそも錠剤をそのまま嚥下することすら難しくなってきた。最初のうちは錠剤を二つに割ったり、口の中で噛み砕いて小さくして飲み込むようにしていた。また食事も少量を口に入れて良く噛んでさらに少しずつ飲み込まなければならなくなった。必然、食べる量自体が減る。ゼリー飲料や栄養ドリンクなどが増えていくが、体力が落ちていくのを実感する。
その後も様々な検査があって通院していたが、血液検査の結果免疫力が極端に低下しており、食事量が少ないこともあって、このままでは到底手術に耐えられないと判断され、急遽予定を早めて翌日から入院することになる。とりあえずは点滴や栄養の経管摂取により体力の回復を目指す。

小学生の時に一週間程入院したことはあるが、この年になって実質的には初めての入院生活である。とりあえず2ヶ月間くらいの入院を想定した準備をして、翌日病院へ向かった。

初めての入院生活

スマートフォンにiPad、仕事用のPC、Wi-Fiカード。とりあえずは何とかなりそうだ。日常品はその都度売店で調達すれば良いだろう。院内にはチェーン店のコンビニエンスストアが入っているし、福祉・医療用品を売る店もある。
前日に入院が決まったため、準備も何もなかったが、今改めて振り返っても不足したものは殆どなかったと思う。そして入院して最初の数日間はコロナ等感染症に罹っていないか、確認の隔離のため(差額ベッド料がクソ高い)個室へ半強制的に入れられたのだが、それはそれで良かったと思う。病院での生活ペースに慣れるためにも、最初は個室でのんびりできたことは良かった。そして数日後、四人部屋へと移動した。

四人部屋といっても、基本は病人同士の集まりなので、秩序を乱すような非常識な同室者はいなかったし、カーテン一枚で区切られているので発生する「音」が気になるかと思ったが、おそらくは各々の病気に由来すると思われる音が稀にあるくらいで、特に気にならなかったのは幸いであった。

21時消灯、翌朝6時に点灯、起床。普段は0時過ぎに寝る生活をしていたので、21時消灯はきつかった。ベッドの中でスマホをいじったりして21時に寝ることはなかったのだが、薄暗い中ではどうしてもウトウトしがちである。そして普段よりも早い就寝は変な時間に目を覚ます。今思えば、だが、やはり気管が圧迫されて息苦しかったり唾液が溢れたりでなかなか寝付くことができなかった。浅い、眠りと呼ぶには浅すぎる眠りの中で、夢とも幻覚ともつかない何かを見聞きすることもあった。入院したての頃は、先ずは体力と免疫力の確保が先決だったので、腫瘍に対して積極的な治療を行っていたわけではない。病変はそのままで、痛みや苦しみと言った自覚症状はなかったものの、生活の質は大分低かったように感じる。

あまり明確には覚えていないのだが、この頃には外科手術よりも前に抗がん剤での治療を先行して様子を見るようになっていたと思う。その後に外科手術を行い、放射線治療と抗がん剤を続けることになるようだ。またその時点で8月の退院は無いな、と思った。早くても9月末か。

SNSでは知人たちが外界の夏の暑さを嘆いていたが、私は暑苦しさを知らぬまま8月を迎えようとしていた。

2025-01-19

病牀雑記(7)

 ここからは病気のことを書いていこうと思う。

端緒

今思えば、になるが、自覚症状を感じ始めたのは2024年のゴールデンウィーク明けくらいからだったと思う。GWの前半は発熱で寝こんでおり、特に医者には行かなかったが、発熱と喉の痛みから何らかの感染症だったんだと思う。GWに入る前に某地下アイドルのライブに行き、病み上がり(注:所謂病んでいる方の病み上がりではなく、身体の病気における病み上がりです。)のオタクとMIXを打っていて、ちょっとヤバいかも…とは感じていた。多分だけどその時に感染した気がする。
それでもその時は、一推しである小野田あやささんがMerci Merciを卒業したばかりで、やり切った感とか燃え尽きた感があったのであまり気にしていなかった。で、数日おいて連休に入ると見事に発熱して家で寝こんでいた。連休の中日には出勤できるくらいには回復していたのでその時はあまり気にしてはいなかったのだが、喉に違和感、そしてリンパ節が少し腫れている感じもあったことは覚えている。そして喉の違和感は口内の違和感へ変わっていく。舌の付け根に違和感というか異物感を感じるようになっていく。それを意識するようになったのが5月の半ば過ぎから後半だっただろうか。

舌根におできのようなものができていて、最初のうちは異物感だけで済んでいたのが、日が経つにつれてそのおできは大きくなり日常生活にも影響し始めた。最初は舌がもつれるような感じで、言葉を発音するのに支障が出始める。呂律が回りにくい状態か。そしてそれが徐々に悪化している自覚もあった。しかしJuice=Juiceの植村あかりさんの卒業コンサートはどうしても外せなかったので、6月の半ばまではそのまま何とかやり過ごしていた。やがて、呂律が回らない状態に加えて、唾液が溢れやすくなってきた。特に寝ている間に唾液というかよだれが溢れていることが増えたし、その不快感のせいで夜も途中で目が醒めたりして睡眠不足気味にもなっていた。
そして何よりも不具合を感じるようになったことは、口の中のおできが大きくなってきていて、物を食べる時に以前と同じ量を口に入れることができなくなり、食べる速度が遅くなってきたこと、またそれ故に食べている途中で食欲がなくなってしまい、食事を残すようになってきたことである。発話と食事の不具合が進行してきて、愈々日常生活に支障をきたし始める。

うえむー(植村あかり)の卒コンを終え、仕事の方も何とか一段落付けた6月の末、ついに職場近くのクリニックを訪れた。ここまで来るともう、通院しながらの治療で済むとは考えられなかったので、入院を覚悟してのことだった。(そのためもし入院することがあっても問題が最小限で済むこのタイミングを待った。)

初診

その日は出社して1時間程度で残務を終わらせて、職場近くのクリニックへ行き診察を受けた。するとドクターから、「紹介状を書くから、今からこの足で紹介先の病院へ行き、検査してもらうように。仕事は、今日はもう休みなさい」と、TVドラマで見たことがあるようなことを言われた。この足でこのまま向かえと言われたものの、一度職場に寄って簡単に事情を説明してから紹介先の病院へと向かった。この日は梅雨時で雨が降っていて、雨の中幾分興奮気味に歩いて行ったのを覚えている。

紹介された病院に着き、紹介状を添付して受付を済ませたが、午前中の診察は終わっていたので、午後からの診察を待つことになった。やはり気分は高揚していたので、昼食も摂らずに(この頃はすっかり食べる量も減っていたが)辺りで時間を潰して、指定された時間に病院へ戻ってきた。

先ずは診察、そして検査、検査。この日だけでは検査が間に合わず、後日CTやらMRIやらをいろいろ受ける羽目になり、診断結果は一週間後ということになった。この時点でのドクターの所見は、中咽頭ガンの疑いとのことであった。

自分で勝手に舌ガンかもなあ、等と思っていたが、舌根部以外にもリンパ節も腫れていて、舌の部分以外にリンパ節も生検検査をされたので、そういうことなんだろうと思った。そして現時点では、「ガンの疑い」とのことだが、おそらくは、多分、自分はガンなんだろうな、と確信していた。
くよくよしていても仕方がない。ともかく検査を複数受けなければいけないし、いよいよ仕事したりアイドル現場に遊びに行ったりしてる場合じゃなくなるな、などと覚悟をしたりもした。

匂わせ

診断結果が分かる前にライブ現場が入っていて、そこで自分の推したちに病気のことを明かすべきかどうか非常に悩んだ。

元来、いや今でもだが、ライブやイベント、ステージでの活動を生業としているアーティストに対して、その現場に行けないことを言い訳することは禁じ手である、と言うのが私のポリシーである。行けないことは黙っていれば良い。行けないことの言い訳を聞かされるアーティストはどんな気持ちか。行けない言い訳など、醜い自己弁護に過ぎないではないか。

この時のように、どうしようもない事情で現場に行けなくなるのならば、いっそそのまま相手のアーティストの記憶から忘れ去られた方が幸せではないか。下手に同情されるよりも、スッといなくなる方が気が楽だ。

しかし、Merci Merciと、一推しの小野田あやささんについては、現場の特典会でそれとなく事情を明かすことにした。特にあやさんの舞台については既にチケットも取ってあり、そのことをあやさん本人も知っていたし、今まであやさんを一推しとして推してきた実績が自分のポリシーを曲げた。

この頃は明瞭に発話することが難しかったので、スマートフォンに予め言いたかったことを打っておき、その画面を見せながらのお話し会となった。たださすがに病名(疑い)までは明かさずに、喉の方に不調があって言葉が喋れないこと、手術や入院しての治療が必要になりそうなこと、もしかしたらちょっと時間がかかるかもしれないこと、などを伝えた。

自己弁護、言い訳に過ぎないことは分かっていたが、いきなり現場からいなくなることによって与える心配の方をなくしておきたかったのだ。

診断結果

初診から一週間後、親族である兄と一緒に診断結果を聞きに行った。

やはり、中咽頭ガンであった。ステージ4。

生検検査でも悪性の腫瘍がみられた。但し不幸中の幸いか、食道や肺など他の部位への転移はなかった。

2025-01-15

病牀雑記(6)

 経緯

いきなり(6)からかよ!と言う話ですが、実は前からnoteの方で書き綴っていてたところ、色々心境の変化がありbloggerも復活させようかな、と。そしてタイトルにもある通り「病牀雑記」である。確か芥川龍之介のエッセーにそんなタイトルがあって、まさに自分の入院中に電子書籍で芥川のエッセーを読み、何となく同タイトルでnoteの方にポツポツと記事を書いておりました。そこではタイトルこそ病牀雑記を銘打っていたものの、病気とはあまり関係のない、通信環境などの話題が主でしたが。

私が入院したのは昨年(2024年)の七月。その後転院を経たものの、年が明けた今も入院中である。入院した当初は秋口には退院できているつもりだったが、思っていたよりも治療の効果が認められず、今に至る次第である。半年近くにも及ぶ入院生活、そしてすぐに退院できるとは言えない状況で、病気のことや自分の生に与えている影響、あるいは生への向き合い方と言った事柄についても何か書き記したいとの思いが強くなった。そこで改めて、自分にとってBlogの原点でもあるbloggerで書いていこうと思い立った。

思えばこのbloggerを始めたのは2006年で今から二十年近く前のことだ。(最初のエントリー:夏焼トンネル)ここ最近と言うか、この十年くらいは殆どblogを書いておらず密度で言ったら二十年分の半分以下の薄さだと思うが、ともかく二十年前というのは自分でも驚きだ。それこそHello! Projectのオタクになりたての頃だし、そもそもがハロヲタ話を書きたくて始めたbloggerであった。それが今や、ハロプロのファンクラブ(ハロプロ及びM-Line)には辛うじて入っているものの、一推しはハロプロはおろかUp-front所属ですらない小野田あやさである。細かいことを言うと、彼女はスペースクラフトに所属する前は演劇女子部の演劇に出演しており、『恋するハローキティ』(Juice=Juice版)で見かけたのが最初のきっかけだったので、Up-frontと全くの無関係とは言い難いところはありますが。ともかく、ハロヲタ話を書きたくて始めたこのbloggerだが、アイドルとは関係のない内容の記事も色々と書いており、純粋にハロヲタブログであるとは言い難いだろう。要は、私の個人的な日記だった言うことなんだと思う。そして原点でもある。

2010年代になって記事を書かなくなったのはやはりTwitterが原因だろう。ここに限らずmixiの日記なども殆ど書かなくなった。百数十文字という制限はあるが、リアルタイムに心の中を吐き出していると大方表現欲は満たされるものだ。その表現内容の良し悪しは置いておいて。

そして去年の7月、いよいよ入院となりました。と言っても院内で日常生活を送る分には支障は無く、時間を持て余すことになる。スマートフォン、iPad、ノートPC(仕事用)等々、電子デバイスは持ち込んでいたので、持て余す時間の過ごし方は最初のうちはコンテンツの消費に走る。動画もよく見たけど、相部屋なのでイヤホン必須だし目も疲れるしなので、電子書籍で文字コンテンツをよく読んだりもしました。インプットばかりの毎日が続くと自然にアウトプット欲も湧いてくるものだが…病気のことを具体的に書くのも気が引けていたと言うか、そこまでの覚悟は持てていなくて、何となく当たり障りのない、ガジェットや通信環境の話などをnoteに書き連ねておりました。

だが入院生活も半年を越えて、退院の目処も立たない今、やはり病気にまつわる事柄について語らないわけにもいくまいと感じるようになった。かな苫庵と言う原点に回帰して、アウトプットして行こう。

病気を公言することについて

家族親族、親しい友人、職場の人たちに対しては当然今罹っている病気のことを明かしているが、その中でも友人たちについては明かした人と明かしていない人との基準は曖昧と言うか、気分次第なところが大きい。入院した当初はこんなにも長引くとは思っていなかったし、3ヶ月程度で社会復帰できると踏んでいたから尚更だ。

また、所謂地下アイドルと呼ばれる人たちの中でも私を私として認識されているアイドルの子たちに対して、敢えて明かしてはいない。一推しの子には、しばらく入院しなければいけないことなどを明かしたが、それも彼女だけだ。ライブパフォーマンスを生業とする演者に対して、現場に行けない言い訳をするのは自分の主義に反するからだが、一推しの彼女にだけは伝えておきたかったのだ。それはもしかしたらもう二度と会うことができなくなる可能性もあったからだ。他のアイドルであれば、現場に会いに行けない私のことなど忘れてもらった方が気が楽だし、次来れるかな? 等と期待を持たせるのも心の負担になるだけだ。

結局、Xでも(身バレしていない他のSNSでも)罹っている病気について公言はしていない。入院していることは匂わせたり、サラッと書いたりしていたが、具体的な病名などについては触れていない。カミングアウトすることが怖いと言えば怖い気もするし、単に同情を買いたくないだけのような気もする。そしてこのタイミングで、今ココで明かすことに躊躇いが無いわけではない。躊躇いだらけである。

気持ちを整理するために、ここで一旦区切ろうか。(笑)

2023-08-06

クレジットカードとかその周辺をどうするべか?

ここ最近で有効なクレジットカードを列挙してみる。

  • 人生で一番最初に作ったクレジットカードは、ユースホステル会員券が付属している…二輪のホンダのHEART(DC/VISA)…→二輪から四輪に移行したこと、ユースホステルを使うことも無くなったことから比較的早目に解約済み。
  • カメラのきむらカード(DC/VISA)→カメラのきむらが合併吸収?されて無くなった時点でエッジオンカードに強制移行→ぐだぐだ残してた気がするが、消滅。
  • ハロプロゴールド(三住/VISA)→ゴールドはやめたいけど、依然としてメインカードではあるね。なのでゴールドをやめるのも面倒かな?色々なところで決済手段にしている上にそれらを今さら替えるのも手続が面倒臭いし。
  • ANA SFC(三住/VISA)→作った当時ほど飛行機に乗る機会は激減したけど、せっかくSFCゲットできたんだから今さら解約する手はないかなあ、年会費高いけど、年に数回はANAに乗るのでラウンジやら予約時の何やらでキープしておくか。
  • VIEW CARD(VISA)→多分、ゴールドにするべき筆頭がこれ。ハロプロ以外だとこれかPayPayくらいしか。ハロプロカードが無ければ一番実利がありそう。Suica/JREポイントは大きい!
  • HONDA CARS(DC/VISA)→ホンダ車に乗っている以上は…だが、最近はPayPayもつかえるらしい?だったらいらない気がするが、まあ、残しておくか、だけど、次に減らすとしたらこれが筆頭かな。
  • JR東海エクスプレスカード(JCB)→東海道新幹線も乗る機会が減ったなあ。そしてセディナから三住に移行する関係で2023年の秋からJCBはなくなると。EX予約は置いておいて、ファミペイとかのコンビニ系のPayだとJCBが必要なのよ。元々はガラケー時代にVIEWカードとモバイルSuicaの特約でEX予約を使っていたところ、JCBが欲しくて敢えてJRCのエクスプレスカードを作ったのよね。それが今秋からJCBが終わると。東海道・山陽・九州新幹線に乗る機会も減ったので年会費を払う理由も微妙になったし、またVIEW特約に戻るかスマートEXにするか、ですな。だが新幹線のオンライン予約自体はもう離れられない。
  • TOHO CHINEMAS(セゾン/MASTERS)→作ったのは2022年で、TOP GUN MAVERICKS見まくっていた時だ。そしてその後映画を見る機会も減り、マスターカード保持のためだけに持ってる感じ。しかし、nanacoチャージにはJCB以外にマスターカードも行けるので断然保持する気が出てきた。(その前にもっと映画館行け! てかセゾンなのに何でファミペイにチャージできないんだよ…。)
  • PayPay後払い(JCB)→未だバーチャルカードのままだけど、VIEWカードの次にゴールドにしたら良さげなのがこれ…なんだが、いかんせんメインバンクの某地銀に対応していないのよね。それのためだけに俺的には使い勝手が悪い。上記エクスプレスカードのJCBブランド終了に伴って、JCBはPayPayに絞ろうかと思ったけど、引き落とし先が俺のメインバンクに対応していない。
  • 楽天カード(JCB)→色々逡巡した結果、JCBは楽天カードを申し込んだ。年会費無料だし、サブスマホも楽天回線使ってるし、俺のメインバンクの地銀に対応してるし。
人生初のクレカ、ホンダ二輪のHEARTカードからずっとVISAばかりを使い続けて来た。それから数十年、いろいろあって、マスターもJCBも必要になった。ハロプロが要らなくなったらやはりメインのカードはVIEWカードかな。PayPayが俺の地銀に対応するようになれば…。

2023-07-08

Merci Merciのライブに初参加~小野田暖優(あやさ)さんとの再会の巻

どこから書いたら良いのか、どこまで遡れば良いのか、よく分からなくなるくらいに小野田暖優(あやさ)さんを意識し出したのは、結構昔のことのように思う。記憶が定かではないので、Wikipediaに頼ろう。— 演劇女子部「ミュージカル 恋するハローキティ」は2014年11月に上演されたらしい。そのJuice=Juiceの初舞台・恋ハロに山崎ルルカ役として出演していたのが小野田暖優さんだった。2014年の当時、自分はJuice=Juiceのリーダー・宮崎由加さんに夢中で一推しで…な状態でしたが、その恋ハロを観に行って「あの女の子(=小野田暖優さん)誰???」パンフレットを購入してあの女の子は小野田暖優という名前であることを知り、暖優って何て読むの? だんゆう?? — あやさでした。それが自分と小野田暖優さんとの初めての出会いでした。その後も、ハロプロの演劇女子部の舞台に小野田さんはよく出演されており、最初の恋ハロ以外のハロプロ舞台にも出演され、よく観劇させていただいておりました。嗚呼、小野田暖優って素敵な子だなとずっと思っていました。所謂Hello! Projectの正式メンバー、或いはハロプロ研修生という括りでも無かったので、個別握手等々で直接お話しできることも無く、時々ハロプロ/アップフロントの舞台に出演されているのを客席から眺めるだけでした。そしていつしか、小野田暖優さんが舞台に出ることも見かけなくなり、勝手に「演劇女子部も辞めちゃったのかなあ」と思っていました。

そこでいきなりTwitter上に小野田あやささんのアカウントを発見、程なくInstagramでも。うわうわ、本物の小野田暖優さんだ!

色々やりとりがあって、2021年秋の舞台(NFINITY ~無限のレクイエム~, 千葉さな子役)を観に行ったりしました。暖優さん本人は舞台女優を目指しているとのことで、順調に己が望む道を進んでいるんだな、って思っていました。そしてキャンパスクイーンに所属していることも知り。

その後また色々あって、小野田暖優さんはMerci Merciの研修生になりました。それを知った当初は、自分の仕事が忙しかったこともあって、よく分からない状態でしたが、ともかくあやさちゃんはメルメルになるんだなって把握します。そこで諸々あって、2022年の3/12にメルメルのライブに小野田あやさちゃんが出演する。

その場所というのが、その昔、石丸のイベント館があったところで、今はカラオケ屋パセラになってました。懐かしいにも程がある!石丸時代、結構足を運んでいたなあ。

あやさちゃんをはじめメルメル研修生の2期として加入、卒業される方達の卒業セレモニーの二本立てのライブ、自分的に初めてのメルメル現場になったのが3/12のライブでした。演劇でのあやさちゃんは何度も見てきたけど、アイドル現場でのあやさちゃんを見られたのはとても新鮮でした。
その後はいわゆる地下アイドルの対バンに出場するようになり、トリコロールの色別チーム分けも固まり始まり、秋葉以降、あやさんの出るステージは全て見てきました。

Juice=Juiceの恋ハロが2014年の11月とすると、あやさんを意識し・出会ってから9年目。8年目にあやさんを一推しとして一年。
ハロプロからあやさんへ。小野田あやささんが一推しになって、色々とアイドル推し人生が変わりました。

あやさんしか!

2018-06-19

尾形春水の卒業に寄す

…前回のエントリーから続く。

はーちん卒業の発表を知ったのは、花見と称しつつ桜も見ない、いつもご一緒して頂いているヲタ友との飲み会の解散後、一人で帰りの山手線に乗車している時であった。その友人とは実はJuice=Juiceのヲタ仲間であって、普段はJuiceの話ばかりなんだけれども、何故かその時はたまたまはーちんとか娘。の話を中心に盛り上がった後であった。実を言うと、もっと前に娘。春ツアーの申し込みの時に、たまたま彼と一緒に娘。現場で行けるところは無いかなあ?みたいな話になり、宇都宮での娘。コンを昼夜相互で申し込んだ。→そして無事お互いに当選したので、宇都宮の昼夜を連番いたしました。これも何かの予感だったのかな、と。

私個人として、コンサートはこの宇都宮コンが、はーちんのラストであった。仕事の事情で、武道館での卒コンに行けないことは、卒業発表の時点で決まっていたことなので、納得は行かないが、まあ諦めはついている。

ともかく、宇都宮でのコンサートでは、はーちん以外のメンバーはほぼ見ない、はーちんだけを目で追う、と言うことを自分に課した。
正直に言うと、はーちん自身、ソロパートは少ない部類だし、ダンスメンバーというものでもない。はーちんがフリを間違えて俺もつられてフリを間違えるくらいだし。なので、その時々でどうしても他のメンバーに目移りがしていた。
9割以上をはーちんを目で追い続けて、改めて思ったのは、はーちんにもちゃんと居場所があったんだ、と言うことだった。ソロパートが少なくても、ぱっと目立つ箇所がすくなくても、はーちんがいてこそ、今このモーニング娘。が成立していると言うこと。このことを実感した時に、はーちんの卒業を心から祝えるようになった。

その後も、盛りだくさん会やFCイベントが追加されて、それらのいくつかには参加できた。中でもディファ有明であった12期イベントも大きな安心と言うか、感慨深いものがあった。
今まで12期という括りには興味を持てなかった。はーちんも真莉愛様も好きだけど…。12期と言う括りには興味が無かった。イベントに申し込んだのも、はーちん現場の私的オーラスだったからだ。だが、実際にイベントに参加してみて、12期も本当に良い期だなと思えた。こう言う緩い繋がりの同期も良いものだし、その中でもやっぱりはーちんがお姉さん的存在だったんだなあ、とか色々な思いが頭の中を巡って、とても幸せなラストでありました。

娘。と言う、あんなに凄い女性アイドルが十数人いる中から、(ソロパートも少ない)尾形春水という子を私が推しとして選んだということ。はーちんにはそれだけの魅力、存在感があるということ。そのことは、はーちんが次の未来に進む上での自信になれることを祈りつつ。

モーニング娘。'18 12期 尾形春水さんの卒業公演の前日に、北海道の地より。
とまと

2018-04-26

'18、と言うかモーニング娘。への回帰

ヲタ活的にも、仕事的にも、プライベートな場面でも、ここ10〜20年位を振り返る時に、自分の中で無意識に — あたかも「紀元前・紀元後」の様に — 思い浮かべる基準点と言うか、特異年が、2009年であることに気付いた。いや、前々から薄々意識してはいたのだが、今明確に意識した。2009年と言えば、久住小春がモーニング娘。を卒業した年であり、また梅田えりかが℃-uteを卒業し、そしてまた伊倉愛美始め所謂地下アイドルにはまった年でもある。アイドル事情的には。
更に言えば、2011-03-11の東日本大震災も「震災前後」と言う謂いで前後を分ける基準点ではある。2009年にしても2011年にしても、何かを思い出す時にそれらの前であるか後ろであるかの基準点になっているということは、私自身の中で「特異点」なのだろうと思う。

それはさておき。
小春卒業後の2010年はリンリンを推してみたり、LLの卒業後は…ええと、確か…鈴木香音→生田衣梨奈→佐藤優樹→石田亜佑美→小田さくら …辺りで娘。における推しの系譜は途切れた気がする。箱の本推しは℃-uteからJuice=Juiceに動いた辺りで、一推しも萩原舞から宮崎由加へ。推し遍歴を掘り戻すとBerryz工房・℃-ute・Juice=Juiceと言った大変遷を語らなければならなくなるので、敢えてそこは蓋をしてですね。とにもかくにも、ここではモーニング娘。に限定して話しを進めたい。

Hello! Projectの本流は、昔も今も、未だにモーニング娘。であることは否定できない。最低限私の中においては。本流としての娘。があって、その上で℃-uteなりJuice=Juiceなりを私個人は推す・推して来た。自分の一推しが娘。以外であっても、ハロプロの本流は娘。であることを意識しなかったことは無い。つまりは、箱推しでも個人推しでも、娘。以外が一推し・本推しであっても、娘。には推しを残していたのだ。前述した小田さくら推しの頃までは。…いや、それが推しと言うに値するのかどうかは置いておいて、娘。にも辛うじて推しを残しておいた。それも2013年頃の話しか。

その娘。推しの水脈が一旦途切れた。
年に数回は娘。の現場に顔は出していたが、推しが不在の状態だった。2015年の札幌での娘。コンに行ったのだが、それは完全にOA(オープニングアクト)の船木結が目当てで…と言うか、札幌の友人との飲みと、翌日の℃-uteコン川口の前振りでございました(笑)結局その札幌の娘。コンでは昼夜通して、船木の研修生Tシャツオンリーで通しちゃったしなあ。
でもその札幌では、立脚点をまっさらにして、「娘。で誰を推すか?」という観点でコンサートを見た。野中美希か尾形春水かの12期二人に絞れたけど、結果的に目を引かれた方で、尾形春水にキメた。ルックス的に、はーちん(尾形春水)だな、と。…船木Tを着たままだけど。

翌年・2016年の晩秋〜初冬。ヲタ友の計らいで初めてはーちんの個別握手に参加する。
はーちんの対応は女神の様でした!
細かい事は省くけど、一回で認識され…はーちんの記憶力は一体どうなってるんだろーう?

小春卒業後、何度も娘。コンに足を運んだ。行く度に、「これで小春の亡霊を払拭できる! これで小春ヲタとして成仏できる!」と自分に言い聞かせてきた。でもその時のメンバーで演じるみかんとか、グルジャンとか、を聞いても、全く心に響かなかったし、やはりどこかで小春がいた頃のパフォーマンスと比較して、「否!」を心の奥底で叫んでいた。「これは本物のグルジャンじゃないよ、偽物だ。」と。それが、小春ヲタの亡霊化と言うか、地縛霊化ゾンビ化を招いていたのだろうけども。そして何度も何度も、「これで小春ヲタとして成仏できた」とtweetしてきていた気がする。何度も。でも全く成仏できていなかった。
ともかく、'16辺りから娘。現場への復帰を徐々に果たす。最初はそれこそはーちんの個別から、そしてはーちん以外の個別等々、いややっぱここは本業のコンサートに行きたいでしょう、それでは行きましょう、そして行きました。

SONGSのイントロを聴いた瞬間、ごく自然に涙が溢れた。
その涙は、「嗚呼、小春卒業後の地縛霊化から今、ようやく解放された」という実感故だった。小春がいた頃の曲を今でもこうして歌い継ぎ、より良いものとして歌っている。このSONGSは、小春がいた時のSONGSを凌駕している…は言い過ぎかもだけど、それに引けを取っていない。心の底から始めてそう思えた。
連番者(こういった事情をちゃんと理解してくれている)からは、「今、SONGSで泣いているのはお前だけだぞ!」
まあ、そりゃそうですよねえ(笑)
この時を以て、モーニング娘。7期メンバー・久住小春のゾンビは迷わず成仏したのでした。

その後も順調に、北陸のナルチカ?を始め、どぅー卒の秋ツアーにも行けるところは行き、成仏した小春ゾンビは本年2018年、春ツアーを迎えたのであった。

更に、去年〜今年辺りは、モーニング娘。やハロープロジェクトの20周年ということで…
ええっ、もう20年なの??
そう考えると、娘。の歴史の1/3〜1/4くらいはヲタゾンビ化していたことになりますねww

ともかく、娘。のコンサート現場に無事復帰でき、ハロプロのメインストリームである娘。を思う存分(いや、ゆかにゃ率いるJuice=Juiceへの配慮はしつつも)応援していこう、娘。での一推しははーちんだけど、二推しはかえでぃかな?とか、色々楽しい考えを巡らせていた。いたところ、3/27にはーちん卒業の発表が。

やっと娘。に復帰できたのになあ。このタイミングではーちん卒業ですか。。。
(以下、続く。)