2007-06-29

読む速度

基本的に自分は本を読むのが速い部類だと思う。内容にも勿論因るが、200ページくらいの文庫なら読み終えるのに下手したら1時間切るかもしれない。(普通そんなもんか?)
実際はあえてゆっくり目に読むのだが、それでも文庫本とかを電車の行き帰りで読もうとすると、一日半とかで読み終えたりするので、あまり時間つぶしには適していない。そもそも電車の中での読書は時間つぶしが目的ではなく、今読みたいから読んでいるに過ぎないんだけど。

って、そんなことはどうでもいい話だった。

そうした中、途中で飽きた・読むのが苦痛で挫折した・巻数が多くて厭になった等様々な事情により読了していない本も当然いくつかある。その中でも代表的というかむしろ象徴的なのが、マルクスの『資本論』とプルーストの『失われた時を求めて』だ。
『失われた時を求めて』は第一篇の「スワン家のほうへ」しか買っていないけど、いろいろ工夫して読もうと試みた。長期出張にこれ一冊だけ持って行くとか、船旅の長く退屈な時間に読もうとか。それでも全然だめだったなあ。

更に私的に特異な読み方をした(している)本がある。
一日一ページとか半ページ、下手をすると一週間以上間があいたり、ちょっとずつゆっくりと読み進め、それでも何故か読むのが厭にならない、逆にこのような読み方が合っている様なパターンだ。
プルーストあたりだったらとっくに放置してる筈なのに、ちびちびと読み進める。
自分的にこういう読み方が出来ること自体意外だったが、さすがにこのパターンは今までで2例しかない。

最初はセリーヌの『夜の果ての旅』だった。
この時は、毎晩寝る前に本当に1~数ページずつ読んでいたのだが、毎晩寝る前の『夜の果ての旅』の時間が楽しみでならなかった。実際、とても面白い本であって、今思い返すと一気に読み終えてしまうのが勿体なくて、毎日の楽しみに取っておいたのだという気がする。

そして更に、『夜の果ての旅』はその後一度も本を開いていない。この初読の時に受けたイメージを壊したくないような感覚か。

そして今、『パレスチナ問題研究序説 パレスチナ分割』(木村申二著・第三書館)がまさにこれ。買ったのは約一年前で、毎日ではないがちょっと時間ができた時に数ページだけ読むことがずっと続いている。
本文の分量としては流石に3/4くらいは読み進めた感じで、48年戦争を過ぎて難民問題に入ったあたりまで来た。今年中には読み終えようか。

しかしこの手の本にはなかなか巡り会えないもので、『パレスチナ分割』の後はしばらく出会うこともないだろうな、と予感している。

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